三日(曇) |
茶々姫(時慶「浅井氏女」)、大坂城(言経「大坂御城」、鹿苑「大坂」)にて拾丸(後の秀頼/時慶「大閤若公 秀頼公と後に号」/言経・鹿苑「若公」)を出産。 |
時慶記・言経卿記(同月六日条)・鹿苑日録 |
秀吉(大かう)、名護屋陣中より寧(「おね」)へ手紙をおくる。九月(八月の誤りか)十日ごろに名護屋を発ち、二十五日ごろには大坂城の寧に会えるだろう、と記す。また、茶々姫(「にのまる殿」)の出産を同日中に祝っているが、寧が出産を知らせる早馬を秀吉に飛ばしたのだろうか。 |
山県公爵家文書(『太閤書信』) |
四日 |
秀吉(「太閤さま」)、拾丸(「若君」)誕生の注進を聞く。秀吉、その赤子を拾子(捨子)として「拾」(「御ひろいさま」)を名付ける。 |
太閤さま軍記のうち |
九日 |
秀吉(「大かう」)、名護屋陣中より寧(「おね」)へ手紙をおくる。赤子の名は「ひろい」とすること、下々の者まで「ひろい」の名に「お」をつけぬこと、生まれてすぐ、寧の手配で松浦讃岐守重政(「まつら」)に拾わせる形を取らせたことが記してある。
(返し書き)かへす/\、こ(子)のな(名)わひろい(拾)と申候へく候。こなたを二十五日にい(出)て可申候。やかて参候て御めにかゝり、御物かたり申候へく候。
はや/\とまつら(松浦)人おこ(越)し候事、まんそくにて候。そもしよりれい申候へく候。さためてまつら(松浦)こ(子)をひろい候て、はや/\と申こし候間、すなわち、このな(名)わひろいこ(拾子)と可申候。した/\まて、おのし(字)もつけ候ましく候。ひとい/\と可申候。やかて/\かいちん(凱陣)可申候。心やすく候へく候。めでたく、かしく。
(文禄二年)八月九日
おねへ まいる 大かう
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高台寺文書(『太閤書信』) |
十二日 |
京極龍(「京極様」)、この日の晩に名護屋を発つ。 |
太閤さま軍記のうち |
十四日 |
秀吉、名護屋に寺沢広高(「寺沢志摩守」)を留守居として置き、この日名護屋を発つ。 |
太閤さま軍記のうち |
二十五日 |
秀吉(「大閤」)、巳刻大坂に帰陣する。急ぐあまり二十五泊かかる道のりを十一泊で大坂に急行したという。このとき、拾丸に初めて対面したものと思われる。 |
兼見卿記・太閤さま軍記のうち |
十二日 |
京極龍(「京極様」)、この日の大坂へ着く。秀吉は龍の名護屋での功績を認め、大坂城西の丸に龍のために屋敷を構える。 |
太閤さま軍記のうち |
一日(雨) |
秀次(「関白様」)、秀吉が拾丸(「御ひろい様」/後の秀頼)と清洲姫君(「姫君様」)との縁談を望んでいる旨を前田利家夫婦に聞く。 |
駒井日記 |
茶々姫がこの日に秀吉へ女房不行跡について報告したことが、二十五日発給の秀吉書状から分かる。 |
大橋文書(『太閤書信』) |
三日 |
秀吉(「大閤」)、参内する。「今度別而御機嫌之由各被申訖」と勧修寺晴豊(「勧修寺」)が吉田兼右に評したのは拾丸の誕生を報告したためか。
その後、三日、五日。七日、十一日と能を興行する。 |
兼見卿記 |
四日(晴) |
寧(「北政所様」)・茶々姫(「二丸様」)から、豊臣秀次へ閏九月六日の返信が届く。(→茶々姫音信の内容はこちら) |
福田寺文書 |
十四日 |
秀吉(「大閤」)、前田玄以(「民部法印」)を訪ねる。 |
兼見卿記 |
十五日 |
この日、秀吉(「大閤」)へ諸家礼あり。 |
兼見卿記 |
十六日 |
秀吉(「大閤」)、前田玄以邸(「民法」)にて能を興行する。 |
兼見卿記 |
十九日(晴) |
秀吉の名護屋在陣中、大坂城で留守を預かっていた女房衆の不行跡(男女問題や金銭問題)が発覚する。(関連記事:同月二十日・同年閏九月十日条) |
時慶記 |
秀吉(「大閤」)伏見城を発ち、大津へ赴く。 |
兼見卿記 |
二十日(雨) |
大坂にて茶々姫の家中女房衆(「大坂若公ノ御袋家中女房衆」)が秀吉の留守中に不祥事を起こし一両日中に成敗されることが時慶に伝わる。(関連記事:同月十九日・同年閏九月十日条) |
時慶記 |
二十一日(時雨、晴陰) |
秀吉、不祥事の女房衆の処刑を命じる。(参考記事:同年閏九月十日・十月十九日・二十日条) |
時慶記 |
二十五日 |
秀吉、同月一日の茶々姫(「おちゃ/\」)書状に返信する。拾丸の様子や授乳の具合について尋ね、侍女不行跡ののために自分は機嫌が悪いので、処分が済み次第茶々姫のもとへ訪れるつもりであるが、茶々姫は何も気をもむ必要はないという旨の内容である。このことから、おそらく一日の茶々姫書状には侍女不行跡について気に病む内容があったものと思われる。
茶々姫の侍女が処罰されていながら、茶々姫には何も嫌疑をかけられておらず、監督責任も問われていないのは、茶々姫の分娩前後に起こった不行跡だからであろうか。
⇒文禄二年十月 豊臣秀吉音信(大橋文書『太閤書信』) |
大橋文書(『太閤書信』) |