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# 百景

布施山福田寺(長沢御坊)


△ 福田寺表門(米原市)


△ 福田寺本堂


概略

福田寺には万菊丸(万寿丸、幾丸、虎千代丸とも)という浅井長政の子が小谷落城の後匿われ、十一世覚芸の養子となった後、伝法院正芸と号し十二世を継いだという伝承が残っている。(『福田寺系図』、『浅井三代記』)また、『翁草』には慶安と称したとも。
『布施山温古記』も同様の顛末を伝えるが、まず福田寺の末寺である菅浦安相寺(西浅井町菅浦)に匿われ、後に福田寺に入ったとされる。

また、正芸の養父ともされる覚芸は志賀の陣において、福田寺の信徒を率いて浅井氏とともに織田信長と激しく戦ったという。その時の犠牲者を弔う「殉教万人塚」が現在も残っている。

境内の書院は小谷城の御殿を移したものと伝わり、「浅井御殿」と呼ばれている(滋賀県文化財)。小谷落城後移転されたとも、浅井氏が福田寺に寄進したとも。また、庭園には浅井長政が寄進したと伝わる石燈籠がある。
(浅井御殿は長いこと工事中で実際に見ることができませんでした…お電話で伺ったお話では、県の財政が厳しいために補助が下りず、工事が進まなくて困っていらっしゃるとのことです…)

所縁の文化財

  • 浅井長政像 …徳勝寺本を江戸時代に写したもの

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