# 百景

安相寺


△ 安相寺(長浜市西浅井町菅浦)


概略

浅井長政の子、万菊丸(万寿丸、幾丸、虎千代丸とも)が小谷落城の際、織田信長の追手から逃れるためこの安相寺に匿われたと『布施山温古記』に伝わる。
安相寺は福田寺の末寺で、後に万菊丸は伝法院正芸と称し、福田寺の十二世を継いだといわれている。
太田浩司氏によると、万菊丸の縁のために福田寺と安相寺は毎年七月に進物を送りあうのを欠かさなかったという。

天嶮の要塞に守られた村

万菊丸は存在自体疑問視される声が強く、なかなか話題に上ることもありません。

しかし、同市湖北町二俣には、万菊丸が逃れるときに守護したという中島左近さんのご子孫が現在もいらっしゃり、その時の槍が今でも残されているそうです。
上山田には万寿丸の母と思しき女性(お弁の方)の伝承もあります。

もちろん、これだけ伝承があるなら万寿丸が存在したに違いない!という逆説めいたことを主張するつもりはありませんが、いなかったとは言い切れないよなあとは思う訳で…

そして今回安相寺を訪れて思ったことは、万寿丸を匿うためにこれ以上の場所は確かにないということでした。
三方を山にもう一方は湖に守られ、他の集落とは隔絶した菅浦という土地。


△ 菅浦全景

そして惣村として名高い集落の自衛能力。


△ 菅浦を堅く守る四足門

敗将の子を匿ったといわれれば納得してしまう何かが確かにここにはありました。


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