# 百景
大坂城

△ 現在の大阪城天守閣(大坂城跡)。
概略
秀吉が京都新城(秀頼卿御城)の後、秀頼の身の安全を図るために修築を重ね、「難攻不落」と称されたのがこの地にあった大坂城です。
実際にはかつての大坂城天守閣は今の場所より東側に位置していました。
大坂の陣以降に徳川家によって埋め立てられたため、現在でははるか地面の下となっています。
現在天守閣が建っている場所はその後に作られた江戸期の大坂城があった場所です。
茶々姫や秀頼の住んだ豊臣期の大坂城は漆塗りの黒と金であしらわれていました。
それとは対照的に、江戸期の大坂城は逆に真っ白でした。
現在の大坂城は、双方を偲んで白と黒、二色で塗り分けられています。
リンク:豊臣期大坂城について --- Web季刊大林
茶々姫と大坂城
流転を繰り返した茶々姫が、生涯一番長く過ごした地がこの大坂城です。
特に晩年は茶々姫自身「大坂殿」と呼ばれるようになりました。
いまやその面影を偲ぶものは少なくなっていますが、可能な限り追いかけてみたいと思います。
目次
山里曲輪・本丸付近
… 北庄落城後を過ごし、自刃した山里曲輪と、秀吉の死後17年間過ごした本丸。
二の丸付近・その他
… 鶴松を儲けたのち主となった二の丸付近(南の丸、大阪豊国社)とその他遺構。
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