# 百景

大坂城

二の丸付近


二の丸(南の丸)があったとされる豊国神社付近 △

豊国神社内・秀吉の銅像 △
大坂城の二の丸というと、広義と狭義で指す範囲が少し違います。 広義に二の丸と称されるのは、秀吉の生前には龍子さん、 秀吉の没後にはお寧さんが一時住居とした西の丸を含む本丸の周辺堀を囲んだ一帯のことです。
当時の三の丸を含めると、大坂城の規模は地下鉄の駅が3〜4つ入るくらい広く、歩いて制覇するのは困難なほど広大です。

茶々姫が住まい「二の丸様」と称されたのは狭義の二の丸のことで、「南の丸」とも言うそうです(学芸員さん情報)。 茶々姫は鶴松誕生以降この二の丸の女主人として迎えられ正式に妻の待遇を受けるようになりました。 拾丸(後の秀頼)が誕生したのもこの二の丸です。

現在の二の丸付近には豊国神社があります。 大阪の豊国社では秀吉のほかに、秀長や秀頼も祭神として祀られています。
最近鳥居をくぐったすぐのところに秀吉の銅像がたてられました。 肖像画のような公家風の印象ではなく、陣頭指揮を取っている風で印象的です。

桜門


現在の桜門 △

桜門付近の桜並木 △
二の丸(南の丸)があった付近から本丸へ続く大手門です。 この大手門が桜門と呼ばれるようになったのは、この付近に桜が植樹されていたからだそうです。

私がここで取材した際に聞いた話によると、その桜は秀吉が茶々姫を慰めるために植えたものであるとか。 伝承の域を出ないので真偽のほどは図りかねますが、茶々姫に関する話にはろくなものが残されていないのにも関わらず、 当地ではこのような話が残っていることに意義を感じました。
それにしても、山里曲輪のお寧さんが茶々姫のために藤の花や樹木を植えさせたという話といい、 秀吉夫妻は身寄りをなくした茶々姫を労わられていたのだなあと微笑ましくなりました。 (むしろ個人的には溺愛!?と思ってしまいました:笑)
真実だったらステキな話ですね。

その他


茶々姫の霊を祀る祠 △
現在の大阪城の敷地内ですが、中心部からははずれたほぼ道路沿いのところに、個人でたてられた茶々姫個人を祀る祠があります。
ご覧のとおり、「淀君」なのが残念なところですが… 隣には大きな別の祠があり(隣は島津さんのだったかな?)、見落としやすいです。 この祠を建てるに至った経緯をいつか是非伺ってみたいです。



〔ひとりごと〕
その他で紹介した茶々姫の祠は、私も一度しか行ったことがありません。 その一度すら連れて行っていただいたからいけたと言ったほうが正確です(汗)

それにしても、このようにひっそりと祀られていたり、 二の丸や山里曲輪に残る逸話には茶々姫の穏やかな日々をしのばせるものが多く、 誰かが隠そうとしても隠せなかった姫のまことが見えるようで感慨深いです…


前画面に戻る