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# 百景

如意輪山小谷寺


△ 小谷寺(長浜市湖北町伊部)


小谷寺山王社小谷城山王丸の社を移築したもの)


概略

前身は「桃津寺」と号し、小谷山上にあったものを、小谷築城の際浅井亮政が麓の北谷後に移し、「常勝寺」と改められたいう(小谷寺案内版より)。 または、もともと「妙法院常勝寺」と号したが、後花園天皇より「如意輪山」という勅額を与えられ、北谷移転の際「如意輪山小谷寺」と改めたとも。

浅井亮政による北谷移転の際、浅井氏の祈願所となったが、小谷城落城の際に織田信長の軍勢により焼失したと伝わる。
但し、このころの小谷寺について実証する史料は現存していない。あったとしても戦火で灰になっている可能性が高い。現在でもこのあたりの寺院では小谷城攻防戦において織田勢にことごとく焼かれたという伝承をそこかしこで聞くことができる。

その後、文禄二(1593)年現在の地に再建されるまで二十年を待たねばならなかった。この時期に小谷城所縁の地が秀吉によって再建されたことは、再建が決まった時点で既に鶴松の母となっていた茶々姫の影響力と無関係ではないだろう。

現在は真言宗豊山派に属し、本堂と山王社が残るのみであるが、この山王社は北谷に移されていた小谷城山王丸の社殿を昭和四十九年に移したものという。

所縁の文化財

  • 愛染明王 …お市の持念仏であったと伝わる
  • 松の切り株の伝承

    お市が柴田勝家に再嫁する直前、自ら植えたと伝承されている松の切り株が小谷寺山門の脇に残っている。


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