×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

# 百景

知善院


知善院 門前 △

概要

長浜駅から近い商店街の近くにある寺院。
観光地として大々的に開かれてはいないが、境内は閑静な雰囲気が漂っています。


浅井家の信仰を受けて


清水谷 追手門周辺 △
天台真盛宗の寺院である知善院は、もともと小谷城下の清水谷入り口(右写真参照)にありました。
立派な庭園を持ち、長政を始めとする浅井家によって手厚い供養が行われていたことがわかっています。

秀吉の保護下で

現在の地へは、天正元(1573)年秋の織田軍による小谷城攻め、そして秀吉による長浜城下整備に伴い移設されました。
長浜へ移転の後も秀吉から手厚い保護を受け、 天正四(1576)年十月二十二日には秀吉より三十石の寺領を寄進され、それが江戸時代末まで朱印地として知善院を支えました(参照:同地石碑)。
天正十九(1591)年四月二十三日に秀吉から与えられた朱印状が現在も知善院に残されています。

茶々姫らとの縁

その後、実家浅井家縁の寺院に対する茶々姫やその妹常高院(初)らの帰依は変わらなかったようで、 秀頼八歳の時(慶長五〔1600〕年)に書かれた「豊国大明神」の神号や、 知善院の所蔵として有名な茶々姫の京極高次宛書状がこの寺院に残され大切に伝えられています。

しかしながらこれが災いしたのか、 知善院は大坂滅亡以降江戸期には茶々姫を始めとする豊臣家縁の寺院として冷遇され、 やっとの思いで今日まで続けてきたというお話を知善院にいらっしゃる老婦人が仰っていたそうです。

明治以降は、豊臣の復権に伴って知善院は秀吉信仰の一角を担う存在となり信仰を集めたものの、 今日まで続いているのは知善院の方々のご尽力の賜物なのですね。


← 秀頼自筆神号(知善院石碑)

前画面に戻る