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# 書状・書簡

≫ 茶々姫宛て書状

文禄元年十二月 豊臣秀吉音信(『原文書』)

《読み下し》
かへす/\、このあいたとをのき(遠退)(「候」脱ヵ)へは、一しほ御なつかしく存計候、
秀吉(「頼ヵ」)さまこなたに御さん候ハねは、るすのやうにて、一しほとせん(徒然)、なか/\申はかりなく候、
又申候、ひのようしん(火の用心)かたく御申しつけ候へく候、まいや(毎夜)へや/\へ、二三と(度)はかり、
人を御まハし候へく候、御ゆたん(油断)あるましく候、

この一両日ハ申入候はす候、御ゆかしく存候間、秀よりについて御なつかしく存事、
御すいりう(推量)のほかニて候、やかて六七日の内に参候て可申候間、
つもる御物かたり可申候、其御心へ候て御侍申候へく候、
秀よりさまひへ候ハんよう、御せいにいれられ候ハん事かん(肝)にて候、めてたくかしく、

   十二月八日
     (切封)
       御ふくろさまへ          大かう
《訳》
返す返す先日そちらにお引取りなされてからはひとしおお会いしたく思っています。
秀頼様がこちらにおいでにならないので、ますます虚しさは言葉に出来ないほどです。
また今回も申し伝えますが、火の元は堅く用心するように皆に申し付けるようにしてください。
毎晩、部屋ごとへ、ニ〜三度ほどは人を巡回さなさるなど、どうか油断なさいませんように。

ここ数日ご連絡を差し上げることが出来ず、貴女の顔が見たいと思っております。
秀頼の次に、お会いしたいと懐かしく思っております。
早速六〜七日のうちにはそちらへ参上いたします。
積もるお話を申し上げるつもりですので、そのように心得て待っていてください。
秀頼様が冷えないように、お気をつけ下さい。それでは。

十二月八日
  御ふくろ様(茶々姫)へ          太閤より

《解説》
慶長元年十二月二日に秀吉から秀頼に送られた書状と対を成す手紙です([史料]≫[文禄五・慶長元(1596)年]ページ参照)。

以前は慶長二年の書状と推定されていましたが、 福田千鶴先生の検討によって書状の時期、秀吉が木幡山城の普請中である伏見城にいること、 茶々姫は秀頼とともに大坂城にいることから、 慶長元年の書状であることが明らかにされました(「豊臣秀頼研究序説」、『淀殿』)。
この頃には拾丸が「秀頼」と諱を貰っていること、茶々姫が秀吉にとって秀頼の母としても存在を大きくしていたことが分かります。


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