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# 書状・書簡

≫ 茶々姫宛て書状

文禄二年九月 豊臣秀次音信(『駒井日記』)

《読み下し》
一、みまひとしておほせつかはされ候。
御ひろひいよ/\御そくさいにおはしまし候や。てんかたうちゆへ心よく候まゝ、
大かうも一たん御きけんよく御入候て、このほとハしゆらくに御成候、
きつかひあるましく候。さてハ大かうの御かたありま御たうち、
さためてゆふさひ候ハんとをしはかりまいらせ候。
このよし心へ候て申候へく候。 かしく。

九月六日   ひて次
  大坂二丸殿
      つほねかたへ
《訳》
太閤殿下よりお見舞いを仰せ遣わされました。
お拾はますます御息災でしょうか。
太閤殿下は湯治で快く過ごしております。もうすぐ聚楽第にお成りになりますから、ご心配なさいませんように。
太閤殿下は有馬できっと幽斎がお側におりますだろうと思います。
このことをお伝えしようとお手紙しました。

九月六日   秀次より
  大坂二丸殿の女房殿へ(茶々姫へ)

《解説》
茶々姫から秀次宛てへの手紙と対を成す(おそらくこれが先)と思われる手紙です。
『駒井日記』文禄二年閏九月十一日条に残された手紙なので、九月六日もおそらくこの年のことと考えられます。
もしかするとこの手紙より前に、茶々姫から秀次に秀吉のことを尋ねる手紙か使いかが行っていたのかもしれません。
もしくは秀吉から近況を遣わされたのかもしれませんが、ここで秀次が茶々姫に手紙を送っているところから意外な親交が偲ばれます。

>>>この後に茶々姫が出したと思われる手紙へ→ 文禄二年十月 豊臣秀次宛


補記 豊臣秀次について
 → 文禄二年十月 豊臣秀次宛参照。

補記 『駒井日記』について
豊臣秀次の右筆駒井重勝(1593〜1595)の日記。豊臣時代の情勢が判る史料です。


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