# 近江浅井氏

大文字屋新十郎

生没年: 不詳

諱: 治政とも

父:浅井久政(諸説あり)
母:不詳

妻: 八重(朝倉家旧臣上木新兵衛の娘。前田利常母千代〔寿福院〕の妹)

子女: 雁金屋弥十郎妻


略歴

新十郎は小谷落城に際し越前へ逃れ、宝円寺(越前氏高瀬町)に隠れたとされます。
(もしこの時点でまだ新十郎が幼少であったのならば(久政の享年は四十七歳のため、幼少であった可能性は否定できません)、逃がされた可能性は十分に考えられます。 基本的に嫡男は当主と共に命を絶たれるのが一般的であり、その慣例に違うことなく万福丸は処刑されてしまいました。 しかし次男以下は寺に入る(=俗世を絶つ、家を継がない)ことで許された例はいくつもあります(正芸や喜八郎などもその一例でしょう)。 新十郎が寺に入ることで命を永らえたという可能性は十分にあると考えます。)
これを知った前田利家が新十郎を憐み、小袖や金子を与えるなどして生活を援助し、 越前府中の商家であった大文字屋の養子として保護したと伝えられています。
利家と新十郎の関係は長く続いたようで、晩年の利家が新十郎に書き送ったとされる掛け軸が残っているそうです。

追記: 新十郎について、長政の弟ではなく茶々姫乳母饗庭局の子内藤新十郎長秋ではないかという説をお持ちの方を見つけました。 非常に興味深く読ませていただきましたので、紹介させていただきます。
外部リンク > 戦国フリーク越後谷本店「第2回 浅井と大文字屋の関係」


略年表

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