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# 豊臣氏

天秀法泰尼

生年: 慶長十四(1609)年 …駿府記 / 慶長十三(1608)年 …新編鎌倉志
没年: 正保二(1645)年二月七日 …相州鎌倉松ヶ岡東慶寺由緒書写

幼名: 不明(「奈阿」は千の鍾愛した孫〔娘本多勝と池田光政の娘、本多忠平の妻〕の名が混同されたものか。「千代」については不明)
法名:

  • 天秀法泰尼
  • 天秀泰大和尚 …相州鎌倉松ヶ岡東慶寺由緒書写
  • 天秀泰和尚 …相州鎌倉松岡過去帳、系図纂要、新編鎌倉志
  • 墓所: 東慶寺 …聞書雑和集

    肖像: 東慶寺蔵
    木像: 東慶寺蔵

    父: 豊臣秀頼
    母: 成田石(『徳川実紀』「台徳院殿御実紀」) …生年は『駿府記』の慶長十四年と思われるが、十三年生まれならば兄国松の生年と重なるため異母ということに。
    養母:千(豊臣秀頼後室)
    乳母:

  • 台月院殿明玉宗鑑大姉(「天秀和尚御局」:東慶寺墓地、三宅善兵衛妻〔「三宅善兵衛の妾」、正保二年二月七日没〕:聞書雑和集)

  • 略年表

  • 慶長二十(1615)年
    大坂城が落ち、父豊臣秀頼が自害する。
    天秀、千に同行し城を落ちる(聞書雑和集)。
    その後、江のもとで保護される(諸系譜)。 家康の命で千の養女として東慶寺に薙髪入寺する。十九世瓊山法清(祖父秀吉の女房喜連川嶋の姉)の弟子となる。
  • 寛永十九(1642)年
    父秀頼(「父秀頼嵩陽寺秀山」)の菩提を弔うために雲板を作らせる。(
  • 正保二(1646)年
    二月七日、入寂。

  • 〔ひとりごと〕
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