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# 豊臣氏

豊臣完子

生年: 文禄元(1592)年? …小和田哲男氏の説による
※但し、この生年は督と小吉秀勝が文禄元年二月に婚姻したという説に拠っている。 督と小吉秀勝の祝言については『兼見卿記』の天正十三年十月十八日条に記録が発見された(岡田正仁氏「将軍秀忠夫人となったお江」/新人物往来社『浅井三姉妹の真実』)。完子は慶長九年九条忠栄に嫁いでいる(従来の説だと数えで十二歳)ことなども考慮すると、完子の生年は三年ほどまでの間で遡るかもしれない。
没年: 万治元(1658)年八月十八日 …東福寺誌、東西歴覧記

名: 不詳
諱:完子(浅井系図、諸系譜)、寛子
戒名:

  • 天真院従二位本光円成大姉 …随心院供養塔
  • 天真院従二位本覚円成大姉 …東西歴覧記


  • 官位: 従二位(九条家譜・諸家伝)、従三位(諸系譜)

    墓所:

  • 東福寺大機院
  • 随心寺
  • 父: 羽柴秀勝(小吉、丹波中納言、丹波少将)
    母: 督(江)

    養母:茶々姫 …慶長日件録
    養父:徳川秀忠…東福寺誌、諸家譜、以貴小伝
    …双方とも完子を「猶子」と記す。大坂落城後秀忠が完子を猶子としたと考えられる。

    夫: 九条忠栄(のちに幸家、惟忖院/父:九条兼孝、母:高倉熈子(高倉永家女、東陽院従三位渓花正春大姉)
    …天正十四(1586)年二月十九日 〜 寛文五(1665)年八月二十一日
    子:

  • 慶長十二(1607)年一月二十四日 〜 寛文六(1666)年七月二十八日 二条康道(後浄明珠院)
    幼名:松鶴。養父:二条昭実、妻:貞子内親王(後陽成天皇皇女、母:中和門院近衛前子)
  • 慶長十四(1609)年八月十三日 〜 正保四(1647)年一月十日 九条忠象(のちに道房、後浄土寺)
    妻:松平鶴(元和四〔1618〕年〜寛文十一〔1671〕年九月十九日/従三位長子、廉貞院機爽俊巧大禅定尼。父:松平忠直、母:徳川勝〔徳川秀忠と江の娘?〕、養父:徳川家光(猶子)〕)
  • 序(成等院/本願寺光従〔宣如〕室)…「九条家譜」、「大谷嫡流実記」
  • 慶長十八(1613)年〜寛永九(1632)年十二月二十三日 通(貞梁院/本願寺光円〔良如〕室)
     …「九条家譜」、「本願寺家系」
  • 慶長二十(1615)年二月十七日 〜 正保三(1646)年六月十二日 松殿道基(道昭、泰雲院殿)
    幼名:千代鶴(「資勝卿記」、「大内日記」)。妻:徳川通(徳川頼房女)、女:瑞芳院梅岩性清大姉。 …「九条家譜」、「諸家伝」、「正保録」、「道房公記」、「水戸徳川家譜」、『東福寺誌』
  • 元和八(1622)年〜寛文四(1664)年閏五月十日 栄厳(東大寺別当、増孝資随心院、大僧正、本浄院)
     …「九条家譜」、「華頂要略」
  • 寛永二(1625)年三月二十八日〜寛文四(1664)年二月三日 瑞円院日怡(瑞龍寺二世) …「九条家譜」、「道房公記」、『日蓮宗事典』

  • 若公の姉姫さま

    豊臣の血を皇族公家門跡へ広く残す


    略年表

  • 文禄元(1592)年?

  • 大坂城二の丸にて、茶々姫の庇護の下、小吉秀勝を父に、督を母に誕生。

  • 文禄四(1595)年

  • 生母督、徳川秀忠と再婚するにあたり、完子、茶々姫に引き取られる。

  • 慶長九(1604)年

  • 六月三日、茶々姫の猶子として九条忠栄のもとへ嫁ぐ。

  • 慶長十二(1607)年

  • 一月二十四日、長男(後の二条道康)を産む。

    以下、執筆中 ...


    〔ひとりごと〕
    now writing ...


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