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# 史料

慶長四(1599)年

※ []内は茶々姫の居場所

この年
寧、慶長三年八月十一日以降からこの年前後までに、父母の供養のため、寺町に康徳寺を建立する。 高台寺誌稿
一月[伏見木幡山城西の丸→大坂城本丸奥御殿]
一日 義演、諸大名らによる秀頼(「秀頼卿」)に年賀の総礼が行われる旨を伝え聞く。 義演准后日記
二日(陰) 義演、秀頼が六日に大坂へ移るという話を聞く。 義演准后日記
五日(霽) 北野社より寧(「政所さま」)・茶々姫(「秀頼さま御袋様」)へ巻数・洗米・帯二筋・杉原十帖ずつが進上される。また大蔵卿局(「大くら卿殿」)・孝蔵主(「かうさうす」)へも巻数・水引五十把ずつを贈る。
同日、寧(「政所さま」)より銀子一枚、茶々姫(「御うへさま」)より巻物一反・美濃紙五束、大蔵卿局(「大蔵卿殿」)より百疋が返礼として北野社へ送られる。
北野社家日記
五奉行(「五人御奉行衆」)、秀吉(「大閤御所」)の死を公表し、大仏鎮守として秀吉を神に祀る旨を発表する。秀吉の死後も秀頼(「秀頼卿」)が諸大名に奉崇されている様子を義演が記録。 義演准后日記
六日(霽) 秀頼(「秀頼卿」)への諸家・諸大名の総礼が翌八日に行われる旨奉行により触が出される。 北野社家日記・義演准后日記(同月七日条)
八日(晴時々雨、風) 秀頼(「秀頼卿」)へ諸家・諸大名の年賀総礼が延引され、諸寺による年賀の総礼のみ行われる。
北野社僧、この日一束・一本を持参し秀頼(「秀頼様」)に会見する。秀頼の側には前田利長(「前田肥前殿」)が控える。取次ぎは前田玄以(「徳善院」)。
秀頼は利家に抱かれ正面に坐し、家康が初めに礼参する。
北野社家日記・義演准后日記・武功雑記
九日(霽) 秀頼(「秀頼卿」)の大坂移徙につき、家康(「内府家康」)出仕。 義演准后日記
十日(大風大雨) 秀頼(北野「秀頼様」/言経「秀頼」/義演「秀頼卿」)、伏見城から大坂城へ移る。翌十一日は節分のためこの日に行われるという(北野)。家康(「内府」)も供として同行。このとき茶々姫も同道か。 北野社家日記・言経卿記・義演准后日記
二十一日(快晴) 豊臣家女房茶阿局(「御ちやあ」)・孝蔵主(「香蔵主」)、大坂より伏見へ上る。秀頼大坂移徙のための来坂か。 北野社家日記
二十二日(巳刻雨) 義演、秀頼(「秀頼卿」)・豪(「浮田女中」)へ祈祷巻数を送る。 義演准后日記
二十四日(霽) 二十二日の義演への返礼として茶々姫(「秀頼御袋」)は縮巻物二端、大蔵卿局?(「同局」)は杉原十帖一包、 豪(「浮田女中」)は杉原十帖・銀子一枚、豪侍女(「同局」)は鳥子五束を贈る。 義演准后日記
三月[大坂城本丸奥御殿]
十一日(雨) 伏見にて島津忠恆(「薩摩嶋津内」)が伊集院忠棟(「イシユ院」)を殺害。この事件に義演、秀吉(「大閤御所」)不在の秩序欠如を嘆く。 義演准后日記
二十二日 秀吉(「大相国」)供養のために、秀頼(「秀頼公」)の名で慶長大地震で倒壊した東寺金堂の再建が開始される(奉行は木食応其〔「興山上人」〕)。 義演准后日記(慶長十年四月二十一日条)
二十七日(快晴) 「御うへさま」(茶々姫か)、前田玄以(徳善院)へ豊臣家老女客人局(御きやく人)を遣わし、祈祷について申し付けられる。 北野社家日記
二十八日(晴) 言経、東山の「新社」(後の豊国社)に赴く旨の記事。 言経卿記
二十九日(晴) 二十七日より大坂に雑説ありとの記事。 言経卿記
閏三月[大坂城本丸奥御殿]
三日 前田利家、病により死去。 (『淀殿』)
四日 先月からの騒動に伴い、石田三成(「石田治部少輔入道」)が大坂城内より伏見城治部少丸の屋敷へ逃れる。 言経卿記(同月七日条)
七日(晴) 伏見の雑説について京中が騒動する。 言経卿記
八日(晴) 寧(「太閤政所」)の仲裁によって伏見の雑説が落着する。 言経卿記
十日(晴) 石田三成(石田治部少輔入道)、この日の早朝に近江佐和山城(「近江國佐保山」)へ隠退する。「伏見・京方喜ぶ」と言経は記載。 言経卿記
十三日(深泥、晩晴) 徳川家康(「内府」)、向島の自邸からより伏見木幡山城西の丸へ移る。 言経卿記
二十三日(快晴) 豊臣家老女茶阿局(「御ちやあ」)大坂より上洛し、茶々姫(「秀頼様御袋様」)よりの何らかを言付かる(※欠字多のため明らかにできず)。 北野社家日記
四月[大坂城本丸奥御殿]
七日(晴) 豊臣秀吉廟社の神人職を望む者たちの間で駆け引きが始まる。 言経卿記
十六日(天晴) 豊国社仮殿成り、遷宮が行われる。 舜旧記
十八日(晴) 亥刻、人々が群集する中、豊国大明神の正遷宮が執り行われる。 義演准后日記・舜旧記
十九日(陰) 豊国大明神に正一位の位が贈られる。秀頼(舜「秀頼公」)名代として、徳川家康(「家康」)が社参する。寧(義演「北政所」)の方広寺千僧会聴聞について応其(義演「興山上人」)が義演に申し伝える。 義演准后日記・舜旧記
二十日(陰) 寧(「北政所 秀吉卿後室」)の方広寺千僧会聴聞が治定する。 義演准后日記
二十五日(晴) 寧(「北政所」)、諸大名に供奉されて豊国神社へ社参し、その後方広寺千僧会を聴聞。 義演准后日記
三十日(大雨洪水) 秀頼(「秀頼公」)、豊国大明神遷座につき諸門跡に黄金二十両、禁裏へ銀子千枚、摂家・諸門跡・その他公家衆へ黄金二十両などを、諸役人以下に及ぶまで残らず配る。 義演准后日記
五月[大坂城本丸奥御殿]
十七日(晴) 義演、寧(「北政所」、取次ぎ孝蔵主〔「康蔵主」〕)及び秀頼(「秀頼御所」、巻数・生帷一重)・「局」(大蔵卿局ヵ、糒十袋)・取次ぎ伊茶局(「いちや」、糒五袋・帷)へ進物する。 義演准后日記
二十日(雨) 秀頼(「秀頼様」)、義演に生帷一重・杉原三十帖を贈る、また大蔵卿局以下も様々の進物が義演に届くる。 義演准后日記
六月[大坂城本丸奥御殿]
一日(霽) 寧(「北政所」)、応其(「興山上人」)を奉行に石山観音堂の修築を命じる。 義演准后日記
二十六日(快晴) 茶々姫(「秀頼様御母儀様」)、御手洗神事の初穂料として五十石を豊臣家老女茶阿局(「御ちやあ」)に託し北野社へと送る。北野社より長束正家(「長束大蔵殿」)を通して返礼する。 北野社家日記
七月[大坂城本丸奥御殿]
一日(快晴、雷、夕立) 秀頼(「秀頼様」)より京極高次(「大津」)を通じて北野社へ五十石が寄進される。 北野社家日記
七日(快晴、少曇) 茶々姫(「秀頼様御袋様」)より北野社へ送られた当年の願書を神前に籠む。 北野社家日記
二十九日 小貫頼久、寧と茶々姫について「両御台様」と記した書状を大縄義辰(佐竹家重臣)に送る。 佐竹古文書(『淀殿』)
八月[大坂城本丸奥御殿]
八日 北野社僧、秀頼(「秀頼様」)へ香水・金扇十本・巻数・洗米・錫一双に香水・御酒を入れたものを進上する。 また茶々姫(「同御母様」)へ扇五本、大蔵卿局(「大くら卿殿」)へ扇三本・筒入り香水、伊茶局へ匂袋二・香水、「御袋様之御右筆」(阿古御局?)へ匂袋三つ・香水を送る。 返礼として御生絹帷子を拝領する。 北野社家日記
十七日(晴) 八条宮智仁親王(「八条殿」)が豊国社へ参拝し奉幣する。 舜旧記
十七日(晴) 豊国社において臨時神楽が行われる。寧(「政所」)、社参する。 言経卿記・舜旧記
十八日(天晴) 豊国社、豊国明神遷座一年祭大神楽。四座能が行われる(北野)。 秀頼(「秀頼」)、名代京極高次(「京極殿」)を豊国社へ遣わし、太刀折紙を奉納する。
勅使勧修寺晴豊(「勧修寺殿」)、豊国社へ参拝し奉幣する。また徳川家康(「内府家康」)も社参する。
北野社家日記・舜旧記
二十一日 豊国社へ禁中より神楽奉納あり。 舜旧記
二十二日(天晴) 寧(「政所」)、大坂下向につき豊国社へ参詣する。 舜旧記
九月[大坂城本丸奥御殿]
七日 家康、重陽の節句に際しての秀頼への礼参ために大坂へ下向する。秀頼・茶々姫(「秀頼母子」)と対面あり。その後石田三成の旧邸に入る(義演)。
浅野長政ら(『慶長見聞録』では前田利長・浅野長政・大野治長がこれに加わったとされる)による 家康暗殺計画を伏見にいた増田長盛・長束正家が家康に知らせる。
結果、浅野家・前田家が大阪方から距離をとらざるをえなくなったという。
…これ以降大蔵卿局・治長母子身柄を拘束か?
徳川実紀・義演准后日記・慶長見聞録など(『淀殿』)
十日(雨少降) 北野社僧来坂。秀頼(「秀頼様」)・茶々姫(「同御袋様」)へ祈念巻数・栗折を進上する。返礼として小袖二つを拝領する。寧(「政所様」)・孝蔵主(「香蔵主」)へも進物・返礼あり。 北野社家日記
十一日(雨降、半晴) 大坂にて騒ぎあり。伏見より人が遣わされる。 北野社家日記
十三日(晴) 大坂における雑説が大方静まったとの記録。 言経卿記
十四日(晴) 禁中より大坂城の秀頼、また屋敷(「常見所」)に留まっていた家康に使者(「勧修寺弁」/勧修寺光豊)が遣わされる。大坂の雑説についてか。 言経卿記
十七日(大雨) “去る十日、秀吉(「大閤」)の遺言により大坂城で茶々姫(「秀頼之母」)が家康と祝言を挙げた”という噂が多聞院のこの日の記録に残る。
  • 「大坂ニテ去十日秀頼之母家康ト祝言在之候、大閤之書置在由候、大野修理(治長)秀頼之母ヲ連候、」
  • 多聞院日記
    二十二日(晴) 寧(「北政所」)が大坂城(「小坂城」)を家康(「内府」)に明け渡し、京都新城(「京御殿」)に移るとの噂が立つ。 義演准后日記
    二十六日(霽) 寧(舜:「政所」、義演:「北政所」)、大坂城西の丸から京都新城(舜:「京之城」、義演:「京都御殿」)へ移る。 舜旧記・義演准后日記(『淀殿』)
    二十八日(晴) 家康、大坂城(西の丸ヵ。但し『義演』では二の丸との記録。)に入る。 舜旧記・義演准后日記(『淀殿』)
    寧(「政所」)、豊国社へ参詣し、湯立を奉納する。神人らへ帯一筋・韈一束を遣わし、梵舜へ金色ウラ絹青を贈る。 舜旧記
    晦日(霽) 家康(「内府」)が大坂(「小坂」)にあり不穏の噂。 義演准后日記
    十月[大坂城本丸奥御殿]
    一日(天晴) 寧(「政所」)、豊国社へ名代に東殿(大谷吉継母)を遣わす。 舜旧記
    十八日(天晴) 寧(「政所」)、秀吉月忌につき豊国社参し、梵舜に竹器・樽・菓子を贈る。 舜旧記
    二十一日(天晴) 梵舜、徳川家康(「内府」)へ移徙見舞のため大阪へ下向する。家康へ蜜柑を贈る。 舜旧記
    十一月[大坂城本丸奥御殿]
    一日 寧の奏請により内侍所で臨時神楽が催される。 お湯殿の上の日記(『淀殿』)
    東殿(大谷吉継母)、豊国社へ参詣。お寧の名代か? 舜旧記
    十五日(未刻雨、大風) 義演、この日参詣した天王寺について、信長(「信長卿」)によって焼失した堂宇を秀頼(「秀頼卿」)が昨年からことごとく再建したものであることを記録。 義演准后日記
    北野社僧、京に滞在の大蔵卿局(「大くら卿殿」)へ礼参する。 北野社家日記
    寧、禁中のお日侍に白鳥を献じる。 言経卿記・お湯殿の上の日記(『淀殿』)
    十六日(大雨風、寅刻より晴) 義演、この日大般若経転読の為大坂城に出仕。大坂城の華麗さに瞠目する。この日秀頼(「秀頼卿」)の病について祈祷する。 義演准后日記
    梵舜、前日大坂に下向し、この日家康(「内府」)へ出分について訴訟を申し出る。 舜旧記
    十八日(天晴) お寧(「政所」)、秀吉月忌につき豊国社へ参詣する。 舜旧記
    二十一日(陰) 義演、十六日に秀頼(「秀頼卿」)より拝領した品々を侍衆へ下賜する。 義演准后日記
    二十三日 秀頼(「秀頼卿」)、病がようやく回復。義演の祈祷に茶々姫(「御袋」)大いに喜び、これに謝す旨を義演に伝える。
    義演准后日記
    大蔵卿局(「大蔵卿つほね」)、北野社にて祈祷を主催する。 北野社家日記
    二十四日(快晴) 大蔵卿局(「大蔵卿殿」)、銀子を一枚と連歌を書いて北野社へ贈る。 北野社家日記
    二十五日(天気殊勝) 大蔵卿局(「大蔵卿殿」)による祈祷が北野社にて執り行われる。 北野社家日記
    十二月[大坂城本丸奥御殿]
    十四日(天晴) 梵舜、寧(「政所様」)を見舞に訪れる。寧へ菓子折を進上し、東殿(大谷吉継母?)・孝蔵主(「康蔵主」)へ水引二十把を贈る。返礼として小袖を拝領する。 舜旧記
    十八日(天晴) 秀頼(「秀頼」)、豊国社において湯立を奉納する。寧(「政所」)、秀吉月忌につき豊国社へ参詣する。 舜旧記
    二十九日(快晴) 北野社僧、大蔵卿局(京滞在中か/「大蔵卿殿」)へ歳暮の礼へ参る。樽二ツ・巻数を進上する。 北野社家日記
    この月 督(江)、夫徳川秀忠に伴って伏見城から江戸城へ下向する。 (『浅井三姉妹の真実』)


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