一日 | 大坂城(本丸ヵ)で秀吉(「太閤」)の財産が大量に盗まれる。 | 多聞院日記 |
九日 | 秀吉より拾丸(「御ひろひ様」)へ生駒内膳が見舞いに遣わされる。 | 駒井日記 |
十七日 | 北野社より京極高次(「大津京殿さま」、「京さま」)・その妻初(「御つほね」)へ祈祷巻数などが贈られ、直ちに高次より北野社へ返礼を贈る。 | 北野社家日記 |
二十八日 | 豊臣秀保(「大和中納言殿」)方より妹(後の大善院。秀保の養父豊臣秀長の実娘で、秀保の妻菊姫の姉妹)が毛利秀元(「森殿」)へ嫁ぐ。 | 北野社家日記 |
一日 | 前田玄以、八条宮智仁親王の家人中大路甚介に宛てて、二日後に予定された伏見城における公家の惣礼での段取りや時間を伝える。 曰く、昨年十一月に行われた伏見城への移徙の祝儀として拾丸に太刀折紙、馬代銀子三枚、秀吉への年頭祝儀として太刀折紙、馬代三貫、茶々姫(「御ひろいさまの御袋さま」)へ縮(しじら)十端か五端という案を指示している。 |
大阪城天守閣所蔵前田玄以(中大路甚介宛)文書(福田千鶴『淀殿』) |
三日 | 伏見城にて禅永(松梅院禅昌父)・鹿苑寺殿・養命坊ら、秀吉(「大閤様」)・拾丸(「御ひろいさま」)へ移徙の礼に参じる。 | 北野社家日記 |
二十五日(快晴) | 連歌会のため、拾丸女房(右京大夫局か/「伏見御ひろいさま御つほね」)より松梅院禅昌の父禅永へ連歌が銀子二十目とともに送られる。 | 北野社家日記 |
八日 | 拾丸(「御ひろひ様」)はしかを患い、秀吉大坂より伏見へ赴く。生駒内膳・小川善六・西尾豊後光教が見舞いに遣わされる。 | 駒井日記 |
九日 | 秀吉より拾丸(「御ひろひ様」)へ生駒内膳が見舞いに遣わされる。 | 駒井日記 |
二十一日 | 茶々姫(「伏見ノ御カミサマ」)、柴田勝家(「柴田殿」、「始観浄金大禅定門」)の追善供養を営む。 | 江州浅井家之霊簿 |
五日 |
秀吉、拾丸に宛てて前田利家より端午の節句の祝儀として太刀馬が送られた旨を書状にて伝える。茶々姫(「おかゝさま」)にも言伝を頼んでいることから、このときに拾丸の側にいるのが茶々姫一人とわかる(福田千鶴『淀殿』)。
(返し書き)かへす/\、めてたく一しほ御うれしくおもひまいらせ候。おかゝさまへ事つて申候へく候。 |
前田侯爵家文書(『太閤書信』) |
八日 | 茶々姫(「前関白秀吉公之北御方 江州浅井備前守御息女」)、両親の供養のために金剛峯寺大塔を修繕させ、この日造畢する。(落慶法要は慶長二年三月二十一日) | 続宝簡集 |
十七日 | 秀吉、養女督(江/「浅井備前守季女」、「贈従一位崇源院」、「大御台所」/茶々姫の末妹)を、徳川家康の子・秀忠の北の方として娶せる。この日婚礼が行われる。 「大御台所を太閤養女として。公を御聟に定められしともいふ。」との注記あり。 |
徳川実紀(台徳院殿御実紀) |
二十五日(晴) | 大仏経堂にて秀吉外祖父母(「御母儀故大政所御父母 榮雲院道円・榮光院妙円」)の法要を修す。 仏教八宗の僧百人により催され、貴賎群集の見物を受ける。 | 言経卿記 |