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# 史料

文禄三(1594)年

※ []内は茶々姫の居場所
この年
茶々姫の願いにより、秀吉の命で浅井長政・市夫妻の菩提供養のため養源院が建立される。
山根氏は、同院所蔵の長政像(久政像とされている)・長政夫人像(茶々姫像とされている)はこの時に茶々姫が納めたものではないかとの見解を出されている。
山根有三「養源院像 浅井氏関係肖像画について」

正月[大坂城二の丸]
一日 旧冬より疫病がはやり、後陽成天皇(「主上」)・秀吉(「大閤」)・秀次(「殿下」)が体調不良とのこと。兼見自身も煩っていたらしく、「在所上下相煩、一人モ無別義令本腹了」という状態だったらしい。 兼見卿記
十六日 兼見、寧(「北政所殿」)・龍(「京極殿」)・拾丸(「若公様」)以下に御祓を送る。 兼見卿記
十七日 京極高次(「京殿さま」)へ北野社より牛王・巻数・水引が遣わされ、返礼として高次より百疋・高次妻初(浅井長政女、茶々姫次妹/「同つほね」)より三十疋・高次母泉源寺殿(浅井久政女、茶々姫伯母/「御ふくろさま」)より五十疋が北野社へ贈られる。 北野社家日記
二十日 寧(「政所殿」)・龍(「京極殿」)・茶々姫(「若公御袋」)の各々、兼見より送られた御祓の礼を認め返信する。 兼見卿記
二十一日 龍(「京極御うへさま」)、大坂西の丸御殿へ移住が決まる。 駒井日記
二十九日 秀次、午前九時ごろ(巳刻)大坂へ赴き、秀吉(「大閤様」)・寧(「北政所」)・拾丸(「御ひろひ様」)・茶々姫(「同御袋様」)・秀次女房衆さこ(「さこ」)・同小浜殿亀(清洲姫君母/「中なこん」)・秀次侍女東殿(「ひかし」)・寧侍女茶阿局(「ちやあ」)・同客人局(「きゃくしん」)・同?こちゃ(「こちや」)・同孝蔵主(「かうさうす」)・七曲殿(お寧養母・木下家利女ふく/「七まかりとの」)・朝日殿(お寧母ヵ/「あさ日との」)・小出秀政室(秀吉叔母/「はりま御うち」)・大蔵卿局(「二丸とのつほね」)に進物、のち能を興行。
内容…秀吉へ御太刀一腰・銀子百枚、お寧へ金子十枚、拾丸へ金子十枚・御太刀一腰、茶々姫へ金子五枚、さこ・かめへ小袖二(はく・はた)、東殿へ小袖二(かうはい・はた)、茶阿局・客人局へ小袖二(かうはい・はた)、こちゃへ小袖二(をりすち・はた)、孝蔵主へ小袖二(あや・かたいろ)、七曲殿・朝日殿へわた五十把、小出秀政室へ小袖二(すりはく・はた)、大蔵卿局へ小袖二(かうはい・はた)
駒井日記
二月[大坂城二の丸]
四日 一月二十八日よりこの日までの秀吉(「大閤様」)・寧(「北政所様」)・同女房衆・茶々姫(「二丸様」)・拾丸(「御ひろひ様」)らへの接待の内容を記録。 駒井日記
五日 住吉へ秀吉侍女よめ(「大閤様御つほね御よめ」)・寧(「北政所様」)・茶々姫(「二丸様」)・孝蔵主より住吉へ進物。孝蔵主、帰りに住吉の使者として寧へ礼参。
内容…よめより折二・御膳三荷、寧より折・御樽・書状など、茶々姫より折・御樽、孝蔵主より折・御樽
駒井日記
十二日 龍(「京極殿」)、大坂城西の丸御殿へ移住。 駒井日記(同月十四日条)
十三日 昼頃より山里曲輪において寧(「北政所様」)・茶々姫(「二丸様」)、女房衆とともに花見を行う。 駒井日記(同月十四日条)
十四日 秀吉(「大閤」)大坂城を発ち、伏見へ到着する。 兼見卿記
二十七日 秀吉(「太閤様」)、この日から三月一日にかけて吉野で花見を行う。本陣は吉水神社。「政所様其外加賀様・御手かけ衆御同心被成」とあるので、寧(「政所様」)、摩阿(「加賀殿」)、そして茶々姫もこれに同道したと思われる(『御夜話集』は摩阿の実家前田家の史料)。前田利家(「利家公」)・徳川家康(「内府」)・金森長近(「金森法印」)・蒲生氏郷(「蒲生飛騨守殿」)・浅野長吉(「浅野弾正殿」)、その他御咄衆がこれに供した。なお、吉野からの帰りに高野山へ参詣したという。 御夜話集
三月[大坂城二の丸]
六日 秀吉、伏見を発ち大坂城へ移る。 駒井日記(福田千鶴『淀殿』)
十七日 秀吉、大坂城を発ち、伏見へ到着する。 兼見卿記、駒井日記(福田千鶴『淀殿』)
四月[大坂城二の丸]
一日 秀吉(「大閤」)伏見城より上洛し、薬院に滞在する。 兼見卿記
三日 拾丸を大坂城から伏見城に移す計画が立てられる。 駒井日記(福田千鶴『淀殿』)
秀吉(「大閤」)参内し、その後近衛前子(「女御」)を訪ねる。 兼見卿記
四日 秀吉(「大閤」)諸家より礼を受ける。 兼見卿記
五日 秀吉(「大閤」)、この日より前田玄以邸(「民法」)に滞在する。 兼見卿記
十五日 きたる二十一日に拾丸(「御ひろひ様」)、大坂より伏見へ移徒の予定。 駒井日記
十七日 きたる二十日、秀吉、寧(「北政所様」)・茶々姫(「二丸様」)・拾丸(「御ひろひ様」)・龍(「京極様」)を伴って宇喜多秀家(「備前宰相殿」)と面会の予定。 駒井日記
十九日 木下吉隆より拾丸の伏見への移徒について、拾丸の年齢(数えで二歳)と方角に問題ありと伝わる。 駒井日記
二十一日(雨) 木下吉隆より拾丸の伏見への移徒についての詳細が伝わる。
先年鶴松(「若君様」)が二歳で上洛し亡くなったことから、拾丸(「御ひろい様」)も今年二歳で あることをかんがみると今年は上洛させるべきではないのではと茶々姫(「御うへ様」)が案じ申し出たという内容。
駒井日記
二十二日 木下吉隆より拾丸の伏見移徒に関して、茶々姫(「二丸様」)が案じている方角については前田玄以(民法)の意見である旨が伝わる。拾丸移徒は来年一月に延期となる。 駒井日記
二十五日 茶々姫(「大坂二丸様」)、市(「備前守殿御内儀」、「照月宗貞禅定尼」)の二十三回忌法要を営む。 浅井家之霊簿
二十五日 秀吉(「大閤様」)、龍(「京極様」)を有馬へ湯治にむかわせ自らも赴く意思を伝える(実際に赴いたのは二十九日)。 駒井日記
二十八日 秀次大坂城へ赴き本丸にて秀吉と対面。昼頃(午刻)二丸にて秀吉と拾丸に対面。
本丸にて秀吉(「大閤様」)・寧(「北政所様」)に進物、二の丸にて秀吉(「大閤様」)・拾丸(「御拾様」)・茶々姫(「御ひろひ様御袋様」)・右京大夫局ヵ(「御ちの人」)・大蔵卿局ヵ(「つほね」)へ進物。
内容…〔本丸〕秀吉へ御帷(生衣)十、寧へ小袖(摺薄・生絹・御帷)十・白鳥二、 〔二の丸〕秀吉へ御太刀一腰・御馬代銀子百枚、拾丸へ御太刀(正恒)一腰・御馬代銀子百枚・御腰物菊一文字・御脇指左文字・御帷摺薄十・御袷三・御道服二・鶴三、 茶々姫へ銀子百枚・小袖(御帷・摺薄)十、御腰巻二、十種十荷、右京太夫局へ銀十枚、帷(すりはく・かうはい)三反、 大蔵卿局へ帷(すりはく並びにいろいろ)十
駒井日記
六月[大坂城二の丸]
一日 秀吉(「大閤」)大坂城を発ち伏見城へ入る。 兼見卿記
二十一日 秀吉(「大閤」)、伏見城を発ち大坂城へ下向する。 兼見卿記
七月[大坂城二の丸]
二日 秀吉(「大閤」)伏見城へ入る。 兼見卿記
八日 七月三日より秀吉(「大閤」)と秀次(「殿下」、「関白殿」)の不和についての雑説が流れる。この日秀次伏見城へ召喚され、秀吉と義絶。 出家の後、高野山へ逐われる。 言経卿記
十日 秀吉(「大閤」)未だ伏見城に滞在し、普請を急がせるとの記録あり。 兼見卿記
十五日 秀次(「殿下禅定」)、秀吉(「大閤」)の命で高野山において切腹する。 山崎で秀次による謀反の企があったという風聞が流れる。
秀吉臣木村常陸介が切腹し、秀次の家臣四人のほか東福寺の南昌院隆西堂(「虎岩玄隆」)が切腹秀次に殉死する。
言経卿記(同月十六日条)
八月[大坂城二の丸]
二日(晴陰、夜雨) 秀次(「故殿下禅定」)妻妾子女、京を引き回され、貴賎群集が見物する中三条河原にて斬刑に処される。
(「若君〔公〕三人、御妾三十二人」:言経)
言経卿記
十三日 寧(「北政所殿」)、伏見城へ入る。 兼見卿記
十五日 秀次(「殿下禅定」)、秀吉(「大閤」)の命で高野山において切腹する。 山崎で秀次による謀反の企があったという風聞が流れる。 秀吉臣木村常陸介が切腹し、秀次の家臣四人のほか東福寺の南昌院隆西堂(「虎岩玄隆」)が切腹秀次に殉死する。 言経卿記(同月十六日条)
十五日 この夜、前田利家の伏見屋敷(伏見城月見矢倉の堀の下にあった)にて秀吉(「太閤様」)、前田利家(「大納言様」)と十五夜を肴に談笑する。「上臈衆」(寧、茶々、龍らか?)これに参加したという。 御夜咄集
この頃 秀吉、前田利家(「大納言様」)を秀頼(「秀頼公」)の傅役(「御守」)に任ずる。 御夜咄集
十九日 寧(「北政所殿」)、この度の聚楽第行きで、秀吉の機嫌が良いよう吉田兼見に祈祷を東殿の文を通じて依頼し、銀子三枚を送る。 兼見卿記
十月[大坂城二の丸]
十九日 寧(「北政所殿」)、伏見城より聚楽第に入る。明日の秀吉(「太閤」)入城に用意された輿は百丁余、中居女中を乗せる馬は百疋余、その他徒歩にてつき従うもの数知れずという。 兼見卿記
二十日(天晴) 秀吉の聚楽第に入る。これは先月から予定が延期となっていたもの。 兼見卿記
二十二日 寧(「北政所殿」)、この日の夜中に聚楽第より伏見城へ帰る。 兼見卿記
二十三日 秀吉(「大閤」)、聚楽第を出て前田利家邸(「前田筑州所」)に滞在する。 兼見卿記
二十五日 秀吉(「大閤」)、蒲生氏郷邸(「蒲生飛駄」)を訪れる。夜、薬院へ帰る。 兼見卿記
二十五日 秀吉(「大閤」)、上杉景勝邸(「上杉亭」)を訪れる。菊亭晴季(「菊亭」)・勧修寺晴豊(「勧修寺」)・中山親綱?(「中山」)これを訪ねる。 兼見卿記
十一月[大坂城二の丸→伏見指月城]
二日 秀吉、(「大閤」)、伏見城へ帰る。 兼見卿記
十八日 秀吉、(「大閤」)、一両日以前に伏見城へ入るとの記載あり。 兼見卿記
二十一日 秀頼、伏見指月城へ移る。茶々姫も同道したものと思われる。 (福田千鶴『淀殿』)


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