八月末〜年末 | 堀秀政(「羽柴北庄侍従」)、安威五左衛門尉(秀吉右筆)宛に書状を送る。福田千鶴氏は、この書状に書かれた「御祝言」を秀吉と茶々姫の祝言と解釈。 ※従来、この「祝言」は秀吉の関白就任に関するものと解釈されていたが、「祝言」は通常婚礼を示す。ただし、天正十三年十月に秀吉の養子羽柴小吉秀勝とお江の婚礼があったため、k2氏はこの婚礼が「祝言」にあたるのではとされる。(出典) | 堀書状(リスボン図書館所蔵) |
二十八日(天晴) | 大坂城二の丸(「大坂二」)の「ちゃ/\方」(茶々姫?)、吉田兼見へ書状、美濃紙廿帖を贈る。兼見、翌朝に使者を遣わし俄かに返礼の整わないため、改めて返事を整える旨を伝えさせる。 | 兼見卿記 |
二十九日 | 茶々姫の伯母昌安見久尼(浅井久政女、俗名は阿久)、この日四十九歳で没する。 | 実宰院蔵昌安見久尼位牌 |
十一日 | 秀吉、関白となる。 近衛龍山にはかり、姓を藤原と改めようとしたが、九条稙通に反対される。そのために「豊臣」と改め、関白を拝する。稙通はこれに反発し、「関白の職はこれまで他氏が任じられたということは聞いたことがない。氏神(「春日明神」)の罰が当たるだろう」と評したという。 |
東福寺誌 |
十八日 | 羽柴小吉(後の秀勝)一柳末安(直末)の跡をつぎ近江瀬田城主となる。 | 一柳文書(『浅井三姉妹の真実』) |
十八日 | 秀吉(「関白」)、羽柴小吉(「関白殿之姪小吉」/後の秀勝)と督(江)の祝言のために淀城へ赴く。京都所司代前田玄以(「民部卿法印」)、これに従う。 | 兼見卿記(同月二十日条)(『浅井三姉妹の真実』) |
十日 | 秀吉養子羽柴秀勝(信長の子、次丸)が病没し、小吉が「秀勝」の名と遺領丹波亀山城を継ぐ。 | (『浅井三姉妹の真実』) |