×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

# 史料

天正十(1582)年

※ []内は茶々姫の居場所

この年
六月末〜九月 市、岐阜城にて柴田勝家と婚礼を挙げる(『細川忠興軍功記』)。茶々姫、母と妹たちとともに岐阜城から(『太閤記』)越前北庄城へ移る。 細川忠興軍功記

六月[尾張清洲城?美濃岐阜城?]
二日(晴) この日の夜明け頃(「卯刻」)、先月二十九日に上洛した織田信長(「前右府」)が宿所本能寺にて明智光秀(「明智日向守」)の謀反により討死する。 嫡男信忠(「三位中将」)・村井貞勝(「村井春長軒」)もまた二条御所(「下御所」/誠仁親王御所)にて討死。 言経卿記
十三日 織田信孝(「織田三七殿」)・羽柴秀吉(「羽柴筑前守」)、山崎にて明智光秀(「惟任日向守」)を合戦でやぶる。) 伊勢貞興が討死し、光秀方によって二条御所(「二条屋敷」、下御所のこと)が放火される。 言経卿記
十五日 明智光秀(「惟任日向守」)、醍醐の一揆衆に討ち取られ、首が本能寺に晒される。 言経卿記
十六日 明智光秀家臣斉藤利三(春日局の父)、堅田にて捕えられ洛中を晒された後、六条河原にて斬刑される。 言経卿記
二十七日 (清洲会議) (調査中)
九月[越前北庄城]
十一日(晴) 市(「大日本国越之前州居住大功徳主某信女」)、妙心寺にて織田信長(「天徳院殿」)の百日忌供養を営む。 月航和尚語録
十月[越前北庄城]
十五日(晴) この日、前日居城丹波亀山城より上洛した羽柴秀勝(「織田御次」/信長四男次丸。秀吉の養子)を喪主として葬儀が行われる。
棺には木造を納め長坂に葬る。先触れは秀吉の猶子である滝川氏が勤めたとの記載あり(「サキヲハ羽柴筑前守猶子、瀧川子、也」)。 秀吉は大刀を掲げる役を担う。
供養は十一日から十七日まで続けられ、十三日には禁中・誠仁親王(「宮御方」)・邦房親王(「伏見殿」)からも贈経があった。
葬儀の後、秀勝(「織田御次」)は亀山へ、秀吉(「羽柴筑前守」)は山崎城へ帰還。
言経卿記
二十四日(晴) 言経、信長女房の鍋のために平家物語を書き写す。白川雅朝妻に装丁を頼み、この日受け取る。 言経卿記


前画面に戻る