# 史料に見える茶々姫の呼称等の変遷

※「?」は別人の可能性があるもの

  • 天正十三年
    一月十八日:「ちゃちゃ方」?(兼見卿記)
  • 天正十四年
    十月一日:「茶々御方」?(言経卿記)
  • 天正十七年
    五月二十七日:「淀の女房衆」(お湯殿の上の日記、言経卿記)
    五月二十七日:「淀ノ御内」(多聞院日記)
    五月二十七日:「淀ノ御上」(鹿苑日録)
    五月三十日:「御ふくろ」(お湯殿の上の日記)
    八月二十二日:「淀之上様」(北野社家日記)
  • 天正十八年
    二月九日:「殿下若公御母儀」(言経卿記)
    四月十三日:「よとの物(淀の者)」(五さ〔寧侍女〕宛秀吉音信/妙法院文書)
    五月:「北の御方」(太閤さま軍記のうち) 五月七日:「淀之女房衆」(吉川広家宛秀吉朱印状/吉川家文書)
    五月下旬頃:「大さか殿(大坂殿)」(寧宛秀吉音信/篠崎文書)
    七月十日:「淀女房衆」(小早川隆景・吉川広家宛秀吉朱印状/吉川家文書)
    七月十二日:「よとの五(淀の御)」(寧宛秀吉音信/箱根神社文書)
    七月十四日:「御上様」(小早川隆景・吉川広家宛長束正家書状/吉川家文書)
    八月上旬:「おちゃゝ」(茶々姫宛秀吉音信/水野文書)
    八月上旬:「両人の御かゝさま」(鶴松宛秀吉音信/寺村文書)
    八月十六日:「御ふくろ」(お湯殿の上の日記)
    九月:「若君様御袋様」(櫻井文書)
  • 天正二十・文禄元年
    三月二十六日:「北政所」(太閤さま軍記のうち)
    四月二十五日:「よとの御前様(淀の御前様)」、「御台様」(平塚瀧俊書状)
  • 文禄二年
    五月二十二日:「にのまる殿(二の丸殿)」(寧宛秀吉音信/米沢文書)
    七月十三日:「大坂御袋」(時慶記)
    七月十六日:「御袋」(時慶記)
    八月三日:「浅井氏女」(時慶記)
    八月三日:「にのまる殿(二の丸殿)」(寧宛秀吉音信/山県公爵家文書)
    閏九月十二日:「二丸様」(駒井日記)
    十月四日:「二丸様」(駒井日記)
    十月二十五日:「おちゃ/\」(茶々姫あて秀吉音信/大橋文書)
    十二月九日:「二丸様」(駒井日記)
    十二月二十六日:「同(御拾様)御袋様」(駒井日記)
  • 文禄三年
    一月二十日:「若公御袋」(兼見卿記)
    一月二十九日:「同(「御ひろひ様」)御袋様」」(駒井日記)
    二月四日:「二丸様」(駒井日記)
    二月五日:「二丸様」(駒井日記)
    二月十三日:「二丸様」(駒井日記)
    四月十七日:「二丸様」(駒井日記)
    四月二十一日:「御うへ様(御上様)」(駒井日記)
    四月二十二日:「二丸様」(駒井日記)
    四月二十八日:「御ひろひ様御袋様」(駒井日記)
  • 文禄四年
    三月一日:「御ひろいさまの御袋さま」(大阪城天守閣所蔵中大路甚介宛前田玄以文書)
    五月五日:「おかゝさま」(拾丸宛秀吉音信/前田侯爵家文書)
  • 文禄五・慶長元年
    一月十三日:「伏見袋」(義演准后日記)
    十二月二日:「御かゝさま」(秀頼宛秀吉音信/安田文書)
    十二月八日:「御ふくろさま」(茶々姫あて秀吉音信/原文書)
  • 慶長二年
    一月十五日:「秀頼御袋」(義演准后日記)
    三月二日:「御袋」(義演准后日記)
    三月二十日:「太閤御所ノ北御方」(義演准后日記)
    三月二十一日:「前関白秀吉公之北御方 江州浅井備前守御息女」(続宝簡集)
    四月二十日:「御上様」(生駒家宝簡集)
    五月十九日:「北政所」?(義演准后日記)
    九月六日:「秀頼御袋」(義演准后日記)
    九月二十四日:「北政所様」(鹿苑日録)
    十月二十六日:「秀頼公之御母儀」(鹿苑日録)
    十二月十二日:「北政所殿」?(鹿苑日録)
  • 慶長三年
    一月十三日:「秀頼御袋」(義演准后日記)
    三月十五日:「にしの丸さま(西丸様)」(太閤さま軍記のうち)
    四月七日:「秀頼御所御袋」(義演准后日記)
    四月二十四日:「御袋」(義演准后日記)
    五月十八日:「秀頼御袋」(義演准后日記)
    五月二十日:「御かゝ」、「かゝさま」(秀頼宛秀吉音信/大阪市役所文書)
    六月八日:「御袋」(義演准后日記)
    七月十一日:「御袋」(義演准后日記)

    十二月三十日:「御台所」(義演准后日記)
    この年:「浅井備前守長政女」(白鬚大明神縁起絵巻・本殿棟札)