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# 百景

太融寺


茶々姫の御墓(供養塔) △

概略

慶長二十(1615)年五月八日、大坂落城に際して秀頼とともに自刃した茶々姫の遺骨は、 大坂城外鵙野弁天島に一祠を作って埋められました。 この場は淀姫神社と呼ばれ茶々姫を祭神として祭られていました。
時はくだり明治十年十一月、現大阪城公園に城東練兵場が造成されるにあたり移祀されることとなり、 豊臣に縁の深い太融寺に埋め九輪の塔(現在戦災に依り六輪)を建て境内西北隅に現在も祀られています。 (太融寺公式サイトより)

但し、大坂の陣の後に茶々姫や秀頼の遺骨が発見されたという記録はなく、それ故に母子ともに落人伝説があります。 ひっそりと遺骨が持ち出され供養されたのか、後年に発見されたのか定かではありませんが、 連綿と続いて生きた茶々姫を慕う方々の真心がこの地に息づいていることは間違いありません。

リンク:太融寺公式サイトへ


墓石香煙、菊を供うるは誰ぞや


茶々姫の御墓(供養塔) △
太融寺さんは茶々姫の風当たりが今よりも厳しいときから姫のお墓を守り続けられ名誉回復に努めておられます。 こちらのご住職さんは「淀君」呼称に異を唱えられ、「淀さま」、「淀さん」と呼んでおられるそうです。 ご住職さんが立てられた石碑(お墓への道中にあります)には「淀の方」と記され、もうそれだけで感動ものです!

お墓はいつもきれいに整えられ、お花がたえていることはありません。 ただ一般に開放されていますので、時に個人で「淀君」呼称のものを備えられていたり、 おそらく煙草好きという俗説を信じられた方が線香たてに煙草を指されていることがありました… ご住職さんの尽力が早く一人でも多くの方に伝わることを願って止みません。

2007年12月、映画『茶々 ―天涯の貴妃―』に伴って主演の和央ようかさんは何度も太融寺の姫のお墓を尋ねられ、ご住職さんともお話しをされたそうです。 何よりも嬉しかったのは、一般紙でもようやく茶々姫に対する見直しが取り上げられるようになったことです。 諸雑誌では近年に茶々姫の伝記を出版された福田千鶴先生と、太融寺のご住職もとてもいいお話をなさっていました。 こちらのご住職さんは、姫の名誉回復において欠くことのできないお方です。
(特に『読売ウイークリー』66巻56号〔左写真〕は永久保存版です!)



春花秋月、君に依りて麗し

こちらのお墓の右手には、藤見東陽さんの作られた漢詩があります。 とても印象的なものだったので、是非紹介したいと思います。
(訳は私がしたものなので正確さは保証しかねます…;)

〔読み下し〕

太融寺淀殿の墓を弔う
大 阪 城 樓 壓 碧 涯    (大阪の城樓碧涯を壓す)
姉 豊 公 寵 縦 珠 帷    (姉〔いろね〕は豊公の寵珠帷〔しゅいろ〕 縦〔ほしいまま〕にす)
春 花 秋 月 依 君 麗    (春花秋月 君に依りて麗し)
窃 窕 嬋 妍 抱 嗣 期    (窃窕〔ようちゅう〕嬋妍〔せんけん〕嗣〔し〕を抱いて期す)
方 廣 鑄 銘 姦 智 將    (方廣〔ほうこう〕の鑄銘 姦智〔かんち〕の將
紅 蓮 劫 火 憫 憐 姫    (紅蓮の劫火 憫憐〔びんれん〕の姫)
今 聞 鐘 愴 太 融 寺    (今聞く鐘は愴〔かな〕し太融寺)
墓 石 香 煙 供 菊 誰    (墓石香煙菊を供うるは誰ぞや)

〔意訳〕

大阪城の威光は青い空の果て地平線まで届く勢いであった。
彼女は太閤豊臣秀吉公の妻妾のなかでも最も権勢を得て寵愛されていた姫で、
春の花も秋の月も彼女の麗しさには翳ってしまう。
美しくたおやかな仕草や容姿のあでやかさを太閤に深く愛され、
彼女は世継を産むことを約束されているようなものだった。
しかし方広寺の鐘銘に悪知恵を働かせた武将が、彼女を気の毒にも城ごと紅蓮の劫火で焼き尽くし命を奪ってしまった。
今彼女が辛い思いを抱いて聞く鐘は、方広寺のものではなく、眠っている太融寺の鐘だ。
墓石に香を焚き、菊を供える人は誰かいるのだろうか。


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