# 百景

清涼寺


秀頼首塚 △

概略

五台山清涼寺平安の昔からの古刹です。
姫との関わりはその生前からで、 慶長七(1602)年には浄土宗の寺であった清涼寺の釈迦堂を秀頼名義で寄進造営が行われました。
しかし残念なことに、現在その遺構はその後の火災(嵯峨の大火)や地震で残っていません。

平成十九(2007)年に公開された『茶々 天涯の貴妃』では撮影場所となったという縁もあります。



「秀頼の首塚」の言い伝え

昭和五十五(1980)年、大坂城の京橋口三の丸跡から、地中深く埋葬された頭蓋骨が発見されました。
アサリやタニシを敷きつめた上に埋められていたその頭蓋骨は、 秀頼のものと推定され、昭和五十八(1983)年、京都の清涼寺に秀頼公首塚の碑が建てられ納骨されました。
納骨に先立ち住職が供養の読経を奉じると、頭蓋骨の目から滂沱の涙が溢れ出たという言い伝えが残っています。

ただ、この頭蓋骨が発見された地点は豊臣時代の大坂城のものとは違い、遺骨は秀頼彼のものではないのではといわれています。
しかしながら隣には愛馬太平楽と思われる馬の遺骨も残っており、真相は定かではありません。


〔ひとりごと〕
この写真は、実際私が清涼寺に行ったときに撮った写真です。
今考えると、首塚を撮るなんて怖いことしたなあ…と思いますが、 何も写っていなかったので、今もこの首塚の下で、秀頼らしき人物は安らかに眠れているのかもしれません。
涙を流したのは、きっと見つかって恥を晒したことよりも、 ようやく安らかに眠ることが出来ると読経を聞いたことで悟ったからかもしれないなあ…と思いました。


前画面に戻る