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# 近江浅井氏

浅井蔵屋

▽ 徳勝寺浅井蔵屋墓(長浜市平方町)

生年: 不詳
没年: 永禄十一(1568)年四月

号: 矢島殿 …浅井三代記
戒名: 玄盛、雪渓玄盛大姉 …徳勝寺受戒帳

墓所:徳勝寺(滋賀県長浜市)

肖像: 徳勝寺蔵浅井亮政夫妻像

…十七世紀後半に作られた寄木造の木像。
浅井一族、東福門院女房対馬局(浅井定政女、浅井〔今木〕一政妹)が京都の仏師に作らせたもの。なお、対馬局は直政の弟敏政の子孫という(敏政の子之政の妻が亮政女)。



父: 浅井直政

(異説:古代氏族系譜集成)
実父: 大野木秀俊(土佐守)
養父: 赤尾教政

兄弟:

  • 赤尾教政(駿河守)?
  • 政信(新助〔古代氏族系譜集成〕、大和守)?
  • 時政(五郎左衛門〔古代氏族系譜集成〕)?
  • 利政(肥前守〔古代氏族系譜集成〕)?
  • 北向殿 浅井千代鶴女?(亮政「姊」、六角義久妾、浅井久政生母?) …浅井過去帳、浅井物語
  • 子女:

  • 政弘(新四郎/母は蔵屋) …高政の死後誕生。嫡男であったが夭折。
  • 海津殿鶴千代(/浅井明政妻/母は蔵屋)
  • 養子女:

  • 明政(新三郎/出身は田屋氏) …嫡男の新四郎政弘夭折の後養嗣子に。
  • 阿古(小野殿/浅井久政妻)

  • 略歴

    浅井総領直政の娘として生まれ、当時勢いのあった蔵人家の亮政を養子に迎えるにあたり、その妻となりました。 『豊内記』によれば、その性格は質素で飾らぬことを好み、「我が家にては金銀を宝とせず、慈悲を以って宝となすべし」 と述べたという記述があります。
    同じ夫を持つ身である馨庵とも姉妹のような関係であったといい、実際に共同で小島権現再興にあたっているなど、 寵を競うというよりは同じ浅井家を支える同志のような間柄であったのではないかと推測されています。 このように先代総領の嫡女として、亮政の妻として、亮政の奥向をすべからく治めていました。
    その人柄から浅井家中や家臣からも深く慕われ尊敬されていたといいます。 浅井一族に囲まれて生きた茶々姫も、蔵屋の話をたびたび聞いていたのではないでしょうか。
    一人息子政弘以降子をなしていないことから、出産で体を壊したのかもしれません。 婿養子として亮政を迎えた蔵屋の、その身に負った苦悩が忍ばれます。


    略年表

  • 永禄十(1567)年

  • 尼子馨庵と共に竹生島小島権現を再興する(小島権現棟札)


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